3.11に思う(2)

3.11に思う(2)

赤坂見附から新宿を抜けて、ようやく青梅街道に入りました。荻窪まで残りあと8Km。沿道を歩く人の数が増えてきたようです。

幹線道路沿いをずっと歩いていたのに、なぜか車の状況はほとんど記憶にありません。渋滞していたのか、そもそも車が走っていなかったのか…。

東高円寺駅まできたところで丸の内線が運転を再開していることが判明。駅のホームに降りて待つこと数分。電車が到着しました。大混雑かと思いきや普段の帰宅ラッシュ時と変わらない程度の込み具合。

東高円寺―新高円寺―南阿佐ヶ谷―荻窪 わずか2駅ですが、スーツに革靴で歩き疲れた身体には大いなる救い!あらためて電車の有難みを感じました。

ようやく家に着き家族の無事を確認。自宅では本棚の本が崩れ落ちたくらいで済みました。一方で、テレビでは津波による甚大な被害、福島の原発事故など背筋が凍りつくような映像が…。

ところで、私は中学生のときにも、台風で電車が止まり帰宅難民になったことがあります。公立の中学校に通っていたのですが、2年生の時に転居。ただし転校はせず電車を使って小一時間の距離を通学していました。

あれは3年生の夏。台風の影響で線路の上に大きな木が倒れて電車は運休。しかたなくホームから線路に降りて枕木(といってもコンクリート製ですが)の上を歩いて帰りました。

今なら安全上の問題から鉄道会社も線路を歩かせてはくれないでしょうけれど、当時はその辺りの管理はまだまだ大雑把です。

線路を歩くこと1時間あまり、何と後ろから電車が警笛を鳴らしながらゆっくりと近づいてきまして…。

たまたま途中駅のホーム手前50メートルくらいのところを歩いていた私は急いでプラットホームによじ登った記憶があります。

あの時も今回同様、途中で運転が再開して救われたというわけですが、まさか30年前と同じような運命が再び降りかかることになるとは…。

東北の人々を襲った被害に比べれば、私の体験など語るのもおこがましいほどの小さい話。あらためて甚大な被害にあわれた方々へお見舞い申し上げます。