東京空襲資料展に行ってきました

東京空襲資料展に行ってきました

先週木曜日の朝刊、小さな広告が目にとまりました。「本日3月10日は『東京都平和の日』」とあります。都内3か所で東京空襲資料展が開催されているとの案内も。

さっそく翌日の金曜日、最も近い「武蔵野市会場(三鷹駅前の武蔵野芸能劇場)」に出かけました。平日の午後ということで来場者は数人。ゆっくり見ることができました。

昭和20年3月10日は東京で大規模な空襲があった日。墨田区、江東区、台東区など下町に300機ものB29が来襲したそうです。2時間余りの空襲で犠牲者は10万人ともいわれているとのこと。

会場でいただいた「東京空襲日誌」を見ると、本格的な東京の空襲は昭和19年11月からはじまり20年8月まで間断なく都内のあらゆる場所で行われていたことがわかります。現在の23区から多摩、八王子方面、大島、新島、八丈島まで縦横無尽。

第二次世界大戦当時、現在の武蔵野中央公園付近には、ゼロ戦のエンジンなどを製造する中島飛行機武蔵製作所という軍需工場がありました。この工場は米軍の攻撃目標となり、昭和19年(1944年)11月24日から合計9回にわたる空襲を受け、工場関係者をはじめ、周辺住民も多数犠牲となりました。

武蔵野市ホームページより

会場には米軍パイロットがこの武蔵製作所を爆撃する際に上空から撮影した写真も展示されていました。そこには地上の風景とともに、まさにたった今機体から落としたばかりの爆弾が写り込んでいる。背筋が寒くなりました。

77年前に人類は「戦争」の悲惨さから学び、その過ちを二度と繰り返さないと誓い、いわば「資料館入り(=封印)」させたはず。

しかし、資料館でしか見られないはずだった「戦争」がウクライナで勃発し、その惨状を私たちは毎日のように映像で見ているという現実。

ついこの間までは、この種の展示を見ると、あくまで過去の出来事であるという認識、つまり「時間の隔たり」を感じていました。

ところが今回はそれを感じません。昔の事として片付けられない、得体のしれない何かに胸を圧迫されているような心境です。