3.11に思う(1)

3.11に思う(1)

震災から11年の歳月が流れました。あの日のことは今でもよく覚えています。汐留にある高層ビル、上層階にあるオフィスで私はいつものように仕事をしていました。

午後2時46分地震を感じ、その後も大きくゆっくりとした揺れが続きました。女性スタッフの悲鳴。もしかしたら死ぬかも…机の下に身を隠した私の頭の中を最悪のシナリオがよぎります。

ようやく揺れがおさまり机の下から這い出た私は窓から外を見降ろしました。数か所で火事が起きています。あちこちで人々がビルから外に出て身を寄せ合うように集まっていました。

金曜日の午後ということもあって、地震が起きる前まではなんとなくゆったりした空気が流れていたのですが、職場の仲間たちの表情は一変。

時間の経過とともに、東北地方で大惨事が起きていることが判ってきました。幸い社内にけが人などはいませんでしたが、交通機関が一斉にストップし「帰宅難民」に。

私たちは、会社に泊まるか自力で帰宅するかのいずれかを選択しなければなりませんでした。

JRは終日運休を発表するも、幸い東京メトロは一部で運転を再開したとのこと。明日は休日ですし、途中で何かあっても最悪荻窪までなら歩いて帰れると判断した私は帰路につくことにしました。

ちょうど銀座線が運転を再開。新橋から赤坂見附まで移動することができました。しかしながら、そこから先は丸の内線が動いていなかったので地上に出て歩くことに。

通りに出ると大勢の人々が自宅に向かって黙々と歩いていました。沿道のお店は営業しているところが多く、中には「トイレ貸します」といった看板を出したり、水やおしぼりを配っていたり。

「こうなったら飲み明かそう!」なのか、「電車の運転再開まで飲もう!」なのか、沿道の居酒屋はどこも盛況。ビジネスホテルにはどこも「満室」の貼り紙。コンビニに入ると棚からは食料が消えていました。(明日につづく)