続・安倍さんの国葬

続・安倍さんの国葬

まさか安倍元総理の葬儀が、国葬として執り行われるとは思っていなかったと書きました。(「安倍さんの国葬」参照)

一方で、今回の国葬論争で、私は小説家の井沢元彦さんが「逆説の日本史」で述べていた日本人の「怨霊信仰」のことを思い出しました。

簡単に言えば、「非業の死を遂げた人は怨霊となってこの世に留まり、災いをもたらす。そうなっては困るので、その霊を鎮めるべく手厚く弔ったり、祀ったりする」ということです。

例えば、有名なところでは菅原道真。右大臣にまで出世するも、謀反を計画したとして大宰府へ左遷され死去したので、怨霊になったと考えられ、天神さまとして祀られています。

言うまでもなく安倍さんは、今回の襲撃事件で非業の死を遂げられたといえます。そうなりますと、岸田さんのDNAにも組み込まれているであろう「怨霊信仰」のスイッチが、無意識のうちに作動したのかもしれません。

怨霊と化した安倍さんを鎮めるためには国葬が妥当という判断は、令和の時代には国を分断しましたが、道真が生きた平安時代であれば、むしろ当たり前の、極めて真っ当な決断だったのですから。