投票する責任

投票する責任

今日は衆議院選挙の投票日です。あなたの選挙区は「東京都第8区」ですと書かれた封書が杉並区選挙管理委員会から10日ほど前に届きました。

町には掲示板が設置され、候補者10人分の選挙ポスターが貼れる大きな板に3枚だけ選挙ポスターが貼られています。

群馬県の太田市では投票日が急に早まったため、特注していた鉛筆の納品が間に合わず、職員が急遽1万本の鉛筆を用意して削っているという報道もありました。

ムリ、ムラ、ムダの権化のような面も否めない今回の選挙ですが、とにかく私たちは投票に行かなければなりません。

「自分の一票くらいで世の中は変わらない」とか「棄権というのも一つの意思表示だ」などと嘯く人がいます。前回の衆議院選挙の投票率は約54%でしたので有権者の半数近くがそう考えているのかもしれません。残念なことです。

逆に申し上げますと、棄権している人々の意識が変われば、政治の世界も十分変わる可能性があるわけです。棄権者集団はそれだけの大きなボリュームゾーンになっている。有権者数が約1億人とすれば、それこそ4千万人規模の大集団なのですから。

同じ時間を共に生きる一人の人間として、よりよい社会形成を目指すために努力することは、一人ひとりの責任であり義務でしょう。

そのための第一歩は投票に行き、意思表示(実際には「選択」しかできませんけれど…)をすることです。これは実行すべき最低限の権利行使と申しますか、むしろ義務に近い。

棄権するけど文句も言わないからいいじゃないか!では済まされません。棄権という行為は、社会の構成員としての責任を放棄しているように思えるのは私だけでしょうか。

ところで、認知症の両親にももちろん投票用紙が届きます。残念ながら彼らは病気のために意思表示ができません。仕方なく、選挙のたびに投票用紙を破棄しています。

後見人が代理投票できるように法律が改正されるなど、改善に向けた動きはあるようですが、実際の運用となると非常にハードルが高いようです。

今後も増えてゆくであろう認知症患者の有権者を、社会としてどのように位置づけるのか。制度や法律の整備とともに、そうした根本的な議論が必要になると思います。

では、私もこれから投票所に出かけます。