ある商談の日。予定より少し早く着いてしまったので、近くにあったブックオフに入りました。平日のお昼過ぎで店内の人はまばら。
通勤の電車で読めそうな文庫本か新書、できれば薄くて荷物にならないものでも見つけようと私は店内をぶらぶら眺めていると…ありました。
薄い本にばかり目をつけていたのが功を奏し、この本に出合うことに。
わずか170ページ足らず、しかも著者は誰もが知る夏目漱石です。それにしても、タイトルが「私の個人主義」とは。「坊ちゃん」や「こころ」とはずいぶんかけ離れたイメージです。
よく見ると漱石晩年の講演集でした。
冒頭は「道楽と職業」と題した講演です。立ち読みを始めると、ぐんぐん引き込まれました。いつのまにか約束の時刻も迫り、急いでレジへ。
全部で5つの講演が収められています。どれも面白いのですが、私が特に感銘をうけたのはこの「道楽と職業」です。
ここでは漱石の職業観が語られています。印象に残っているのは「社会が発展すると職業の分化や専門家や局部化がすすむ」という分析です。
これは社会や経済の発展に欠かせない「分業」について指摘しているのですが、その結果、人間の能力はどんどん退化してゆくことに警鐘をならしていると理解しました。
逆に、こうした分業化の流れを遡ってゆけば、昔の人間は何でも自分で出来たということになるとも指摘。なるほど!
よく考えてみれば、私たちの生きる社会ではお金がなければ水も飲めないのです。川で水を汲んで飲むわけにはゆかない。(そう考えると、ときどき恐ろしくなります。)
都市での生活に至っては毎日が実は綱渡り。スーパーの店頭に食べ物があふれていますが、素材となる食材は全て別の場所や外国でつくられている。
なにもかもが分業されていて一人では食べ物も調達できません。社会全体としては進歩しているのでしょうが、人間ひとり一人の能力はどんどん退化している。
子供のころ家ではぬか漬けを作っていました。時代をさかのぼれば、味噌だって家庭で作っていたでしょう。
人間はいろいろなことができたけれど、分業することで、その能力を発揮する機会はすっかりなくなってしまったのですね。
かつてデパートの最上階にはレストランが1つだけあった。そこでは大人向けのメニューからお子様ランチまで何でも注文できました。
今は料理のジャンル別に専門店複数入っているのが当たり前に。こちらも分業がどんどん進んでいます。
職業も、ビジネスも、学問も、どんどん細分化されてゆき、幅が狭くて深い領域ごとに専門家と呼ばれる人や法人が量産される社会。
この講演が行われたのは明治44年です。漱石の先見性には ただただ驚くばかりです。(講談社学術文庫)