「終戦の日に考える」でも述べましたとおり、私はノンフィクション、フィクションを問わず、戦争を題材にした作品に、多く接してきたように思います。戦争には私を強く引き付ける何かがあります。
そうした作品の一つが、ソ連の強制収容所で過酷な労働を強いられた日本人捕虜の壮絶な日々を描いた「収容所から来た遺書」です。文庫本の背表紙には次のように書かれています。
敗戦から12年目に遺族が手にした6通の遺書。ソ連軍に捕われ、極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男のその遺書は、彼を欽慕する仲間達の驚くべき方法により厳しいソ連監視網をかい潜ったものだった。悪名高き強制収容所に屈しなかった男達のしたたかな知性と人間性を発掘した労作。
どんなに厳しい状況に置かれようとも、希望を捨てずに生き延びる人間の強さ、そこにはもちろん肉体的な強靭さが求められるが、実は精神的な支えというものが、それ以上に重要な役割を担っているということを如実に物語っています。
また、想像を絶するような収容所での悲惨な日々だけでなく、捕虜となった人々が監視の目を盗んで、文化的な活動を「楽しく」「生き生きと」続ける姿も描かれています。
強制収容所における「日常」というものが、その光と陰ともども大変よく伝わってきます。著者の丁寧な取材の賜物だと思いました。
とは言え、もちろん「楽しく」「生き生きと」などと捉えてよいものか。そんな軽薄なものではないと叱責されるかもしれません。
ただ、読者としては、これは一種の「救い」です。漆黒の闇のような世界にも一筋の希望の光があったのだと。
戦後12年もの時を越えて、遺書が届けられたという事実を知るにつけても、たとえ12年が経ようと、いや戦後76年を経た今でも、あの戦争は終わっていないのだということをあらためて感じます。
ところで、NHKアーカイブスで著者のインタビュー動画が視聴できます。こちらもお勧めです。
「言葉というのは、ことのは、言霊、人間の魂が入っている。人間が最後に残す言葉は、ささる、しみいる」という辺見じゅんさんの言葉が心に響きます。(文春文庫)