七七日(なななのか)

七七日(なななのか)

今日は父の四十九日目の忌日です。我が家は特定の宗教を信仰していませんが、やはり日本人ゆえ仏教のしきたりや物語はひとつの拠り所です。

仏教の教えに則るならば、本日をもって父は無事成仏して極楽浄土に達したということになります。

本来は命日から7日ごとに「初七日」「二七日」「三七日」・・・「七七日(=49日)」と区切って法要を営むそうですが、最近は繰り上げ法要といって「初七日」や「七七日」の法要を葬儀の当日にまとめて行う場合もあるそうです。

ところで、昨年12月「介護とは…」という投稿で、長谷川櫂さんの詩歌コラムに書かれていた「スローモーションの死」について紹介させていただきました。

私にとって4年間の介護の末に迎えた父の死は、まさに「スローモーションの死」だったとあらためて思います。

海外勤務をしていた頃は、もし親に何かあったら、その「死」には立ち会えないかもしれないなどと思ったこともありました。

危篤の知らせを聞いて病院に駆けつけたが間に合わず、最後の言葉を交わすこともできなかった、もっと話したかった…よくテレビドラマなどでみるシーンです。

しかし、結果的にはその真逆と言ってもよいでしょう。4年間という長い歳月をかけて父の死に立ち会ったのだと感じます。

コロナ禍の面会規制もあって「死の瞬間」には間に合わなかったのですが、あの時「悔い」と申しましょうか「もっと話したいことがあったのに…」みたいな感情は湧きませんでした。

年齢が80を過ぎていたということもあったでしょう。しかしそれ以上に、少しずつ「壊れて」ゆく姿を傍で見守りながら過ごした日々の積み重ねが大きかったのだと思います。

父はいまごろ極楽浄土に着いてゆっくりしていることでしょう。