軽薄短小の折返し

軽薄短小の折返し

軽薄短小という言葉を最近あまり耳にしなくなったように思います。なぜなのでしょうか。

80年代には盛んに使われました。電気製品などが技術の進歩とともに、どんどん軽量化・薄型化・小型化していた時期です。

かつて隆盛を極めた造船や鉄鋼など、いわゆる重厚長大な第二次産業が海外に移転し、国内はサービス業など第三次産業が伸長。

こうした産業構造の変化に重なるように、モノやサービスもどんどん軽く、薄く、短く、小さくなってゆき、利便性の追求が続きました。

それでも、やはりどこかで限界点と申しましょうか、折返し地点みたいなものにぶつかる。

もちろん、これから重厚長大に方向転換するということは無いでしょうけれど、世の中全体が「ちょっと行き過ぎたのではないか」と感じているのかもしれません。

引き出しの奥に古いiPhoneが入っているのを見つけたのですが、その小さいこと。今のスマホはだいぶ大きくなりましたね。そのiPhoneは小さ過ぎたのでしょう。

あれはもう数十年も前のこと。お湯を注いでから1分間で出来上がるというカップラーメンが初登場しました。

3分でも十分短いと思うのですが、更にその時間がなんと3分の1に短縮された製品で話題になりました。

しかし、これはあまり売れなかったようで、いつの間にか市場から消えていきました。こちらは時間が短過ぎたのでしょう。

当時の某マーケティング専門家によると、売上不振の理由を次のように述べていたのを覚えています。

  • カップラーメンのようなインスタント食品を食べることに人は罪悪感を覚えるものだ
  • 特に主婦は「インスタント食品を食べる」=「手抜きをしている」という意識が強い
  • その罪悪感を打ち消すために1分間は短すぎる、3分程度が必要なのだ

この説の真偽はともかく、何事にも適度な大きさ、時間といったものが存在するということは間違いありません。

技術の進歩は常にその適正値を越えて進んでしまいます。しかしやがて行き過ぎたことに気づいて引き返してくるようです。