五十にして川柳を詠む(3月)

五十にして川柳を詠む(3月)

先週の「五十にして川柳を詠む(2月)」に続き、今日は同年「3月」の作品を振り返ってみたいと思います。

3月末で退職が決まっていましたので<もういくつ寝ると退職桜咲く>と、月初からカウントダウンをはじめました。

そんなある日、個人的に最も嫌悪感を持っていた上席の一人が、私の退職を聞きつけたのでしょう、めずらしく話しかけて来ました。

「会社のポジションなんて所詮は借り物。レンタカーみたいなものだ」と、激励とも同情ともつかぬセリフを告げにきたのです。

彼の真意はともかく、レンタカーとは言いえて妙だなぁと感心。その日は思わず<肩書きもいずれは返すレンタカー>とノートに書きつけてしまいました。

日を追うにつれて、心は会社から少しずつ離れはじめる一方、なぜか地元への関心が徐々に高まってゆきます。<荻窪が僕の一部になってきた>。

これまで気にも留めなかった町内会の掲示板の前で立ち止まってみたり、一体だれが手に取るのだろうと思っていた駅に置いてある地元の情報冊子を持ち帰ったりする自分。

年度末を控えた職場では引き続き「業務改革」とか「構造改革」といった言葉が飛び交い、更なる事業の成長に躍起になっていましたが、さすがに心は踊らず<改革に踊る阿呆と見る阿呆>。

退職の日が近づくにつれて<少しずつ肩の荷物が降りてゆく>とともに<わが立場退職控え宙に浮く>という感じで、どんどん居場所が狭くなってゆきます。

迎えた最終出社日は<降り注ぐ贈る言葉に感極み>、<見送られ寂しさ紛らすすべがなし>。仲間たちの拍手に送り出されたこの大切な日に、素晴らしい句を一つ見つけました。

<よき日とは次の世界に旅立つ日>(竹田光柳)

またしても、わが句の稚拙さを思い知らされることになりました。