東京パラリンピック開幕 コロナとの共生

東京パラリンピック開幕 コロナとの共生

パラリンピックがはじまりました。今朝の朝刊は1面で昨晩の開会式の模様を大きく報じています。

同じ1面で「緊急事態8道県追加」の見出しも。新型コロナウイルスの感染爆発が続き医療崩壊も起きているという最悪のタイミングで開幕を迎えました。

それでもオリンピックの時に比べれば、開催反対の風当たりは弱かったように感じます。これはオリンピックが「エンターテインメント」というイメージを人々に強く感じさせる一方で、パラリンピックは「福祉」という側面を人々に抱かせるからでしょう。

子供たちが競技を観戦する「学校観戦」についてもオリンピックでは全面的に中止になったのに、パラリンピックでは実施するそうです。ただし希望者のみで児童生徒には事前のPCR検査も可能とのこと。

競技を直接観戦することで子供たちは障がいや福祉について考え、理解を深めるまたとない貴重な機会である というのが実施の理由とのことです。ただし、教育委員会やPTAからは相当強い反対があったとも報道されていました。

この学校観戦実施 私は妥当だと思います。もちろん、感染リスクを考えて反対される方々のお考えも十分理解できます。だからこそ、行政は「希望者のみ」という条件を付けての開催を決めており、真っ当な措置かと。

全面中止せよというのは簡単ですが、それでは子供たちの教育機会をあまりにも乱暴に、有無を言わさず潰してしまっているように思えます。

声高に中止を叫べば それはもう「正義」なのかもしれませんが、「教育」という観点にたつならば そのために失うものとのバランスも考えておくことが必要ではないでしょうか。

コロナ禍で「正解のない問い」が次々と降り注ぐ中、大切なことは「自分の頭で考えて行動する」だと思います。あふれる情報や他人の意見を参考にすることは必要ですが、振り回されてはいけない。

与えられた条件あるいは選択肢の中で最終的にどう行動するかは自分で決め、もしアクシデントが生じたら それは自分で責任を取る。

もし、そのリスクが自分ではとても責任をとれないほど大きい、他人や社会への迷惑が甚大だというのなら、最初からその行動は慎む。一人一人がそうした行動をとるより仕方がないというのが今の状況ではないかと。

一方で、そろそろコロナとの「闘い」から「共生」に舵を切ることも考え始めたほうがよいように思えます。所詮人類はウイルスに打ち勝つことなど不可能。最近はあまり言われなくなりましたが「正しく恐れる」というスタンスで 「共生」の道を探るべきだと思います。