先日、新聞の購読契約を更新しました。6か月、1年、2年、3年と期間の選択ができるのですが、いつも最短の6か月更新です。なぜなら、更新のたびにお米や缶ビールを景品としていただけるからです。
この夏までは購読料を現金で支払っていましたので、毎月集金の人も来ていましたが、さすがに煩わしくなってクレジットカードに変更しました。
ご存知のように紙の新聞は購読者が減少の一途です。値段も徐々に上がり、今では毎月4,400円と決して安くはありません。
「今どき、紙の新聞を購読する必要はないでしょう。情報は瞬時にネットでとれるのだから、速報性にも劣る。それに当の新聞社が電子版を配信、推奨しているではないですか?」そうアドバイスをしてくれる人もいます。
しかし、私は紙の新聞購読を止めようと思ったことはありません。たしかにネットで十分という気もしますが、テーブルに紙面を広げて一覧できる、俯瞰できる、あの快適さは捨てがたい。
さらに貴重なのは蓋然性です。「紙面」の場合、あまり関心がない記事や情報にも遭遇します。どうしても視界に入ってしまうので、そこで偶然の出合いが起こる。
残念ながら「画面」ではその確率が低い。そもそも、ネットは自分の関心が高い情報に偏るようなしくみになっていますから。
先日も、アイサポートという認知症介護者を支援するプログラムの治験者を募集する小さな広告を見つけました。これが私の目に留まったのは全くの偶然でして、結局この治験に来年から参加することに。まさに蓋然性のなせる業です。
さて、紙の新聞購読には特筆すべきメリットがもう一つあります。それは古新聞として生活の様々な場面で大活躍してくれるということです。
両親の介護現場で、古新聞は汚れたオムツを包むのに最適。トイレの水が溢れたときには吸水材として絶大な威力を発揮してくれました。(「トイレまたもや水あふれ」 参照)
窓ガラスの掃除をするとき、最初に古新聞を丸めて大まかに埃を拭きとっておくと楽です。湿らせた古新聞を細かくちぎって床に撒き、それをほうきで掃き寄せることできれいにしたり、植物を包んだり、キャンプでは焚き付けにつかったり…。
新聞社を指すとき例えば「主要3紙は…」というふうに「紙」という字を使います。これが雑誌社の場合は同じ紙媒体なのに「5誌に広告を掲載した…」と「誌」を使いますね。
やっぱり新聞は「紙」。採算は厳しいと思いますが新聞各社にはなんとか頑張っていただきたいところです。