新規事業という陥穽

新規事業という陥穽

海に囲まれた日本、そこに暮らす日本人にとって「海外」という言葉にはどこか特別な響きがあります。

プライベート、ビジネス、どういった観点からでも、なんとなく「無限に広がる可能性」を感じるのではないでしょうか。

海外進出は昔に比べて桁違いに容易になりました。様々なインフラが整い、個人も、企業も、その気になれば すぐに情報を得たり、現地へ赴いたり、ビジネスをはじめたり。

海外事業に限らず、新規事業というのは私たちを惑わせます。その言葉は非常に魅惑的で、無限の可能性を予見させるからです。

しかし、当然ながらそう甘くはありません。こんなに市場が伸長しているのだからいける!という面もたしかにありますが、その分リスクも高いのは間違いない。同じことを考えている競合他社はいくらでもいる。

そうしたマーケティングの観点はもちろん大切ですが、それにも増して注意しなければいけないのは新規事業の目的が明確になっているかどうかです。

例えば、中国市場に進出するという場合、最初に議論すべきは「進出することで何を成し遂げたいのか」ということ。つまり「起点」の確認と共有です。

市場分析や実務は並行して進めればよいのですが、「起点」が不明確な場合、時間の経過と共に分析や実務推進だけが目的化してしまいがちなのです。

また、「起点」は全ての拠り所であり、判断の基準となりますから、これがブレますと、ムリ、ムラ、ムダのオンパレードになります。担当者のモチベーションもあがりません。

何を実現したいかを突き詰めて議論し、出した結論を共有する。そこさえしっかりしていれば、難所も越えられるでしょうし、チームも一丸となってエネルギーを注げます。

もしも思い通りに行かず、最終的に断念することになったとしても、それは必ず「次につながる」。

「起点」が明確ですから、何が上手く行かなかったのか、どうすればよかったのかといった分析や課題抽出ができるからです。

しかし、もし「起点」がなければ、測定ができない。何が良くて、何が悪かったのか判定のしようがありません。

人はもともと「作業」をしたほうが達成感を得やすい。本質的な議論を通じて、何か結論を導き出すことより、100枚の紙をシュレッダーにかけ終えたときのほうが達成感を感じます。

しかし、「作業」を繰り返しても新規事業という「物語」ははじまりません。「起点」はいわば理念や信念、志や想いです。それらを言語化、共有化したところからしか「物語」の幕は開かないと思います。