失敗を認める勇気

失敗を認める勇気

仕事に失敗はつきものです。私もこれまで何度もしてきました。

社会に出て間もない頃は、周囲も大目に見てくれます。社会人1年目で食品メーカーの研究所に配属された私は、試作や実験で何度も失敗しました。

そのひとつひとつは自分自身の学びとなり糧となるわけですが、それでもやはり失敗はしたくない。

そのためには、仕事なら自己研鑽、スポーツで言えば練習あるのみということでしょう。たしかにその通りですが、難しいのが「気持ちの切り替え」です。どうしても失敗は引きずってしまいがち。

そこで、当時の私は実験台の前に「失敗は笑いとばせ!」と紙に書いて貼ったこともありました。もちろん、失敗を軽く受け流すという意味ではなく、気持ちを切り替えるためです。

若いうちはその程度でよかったのですが、中堅、管理職と階段を上るにつれて、失敗は笑い飛ばせなくなりました。

一つには組織に与えるダメージがだんだん大きくなるからです。そしてもう一つはプライドです。周囲の目が気になる、ダメな奴と思われたくない。

そんなつまらないプライドが、時に自分を「自己正当化への虚しい努力」へと誘います。

「昨日までに届くと聞いていた資料がまだ来ていないのですが?」というクレーム。自分が忘れるはずはない、それは明日まででOKとのメールをもらっていたはずだ…。自己正当化の思考回路が起動しはじめます。

そこで必死になって「受信トレイ」を捜索。しかし、そんなメールはどこにも見つからない。自分の思い違いだったのだと認めるまでの間、暫しの時間と無駄なエネルギーが消費されるのです。

そうした虚しい努力から少し解放されてきたのは五十代になってからでしょうか。他者とのコミュニケーションにおいて「自分が常に正しいとは限らない」という謙虚なスタンスがようやくとれるようになりました。

ところで、小学生のころ 私は誤って友達の家のガラスを割ってしまったことがあります。幸か不幸か目撃者はいません。

まもなく「あれ、玄関のガラスが割れている」と友達が気づきましたが、私は怖くなって、ずっと知らんぷり。

その後、友達のお母さんから「状況から考えて、お宅のお子さんが割ったとしか考えられないのですが…」と母に連絡があったようです。

私は母に問い詰められ、ついに白状し、すぐにお詫びに行きました。幸いその友達とは不仲にならずに済みましたが、とにかく後味が悪かったことを覚えています。

失敗や過ちは素直に認めなければいけないと、この一件で教訓を得たはずだったのですが…。なかなかできませんでした。汗顔の至りです。