この議論は巷で一時期よく耳にしました。株主、社員、経営トップなど様々なステークホルダーがいる中で、その所有者は誰だと問われれば、とりあえず答えは株主になりますでしょうか。
「経営と所有の分離」について学校でも教わりました。経済発展とともに、ひとり二役のオーナー社長が主流だった時代から、雇われ社長(=経営)と株主(=所有)に役割が分れていったということですね。
株主はカネと口を出す。その意向を踏まえて、実行するのは経営者(社長)というのが現代の会社です。
では、所有者である株主は、会社を何でも思い通りにすることができるのでしょうか。「この会社の所有者は、株主である私だ」という場合の「私と会社の関係」は、「この傘の所有者は私だ」という場合の「私と傘の関係」とは異なるように思います。
傘なら、それをどう使おうと私の勝手です。もちろん、法律に抵触するような行為はダメですが、そうでなければ「お好きにどうぞ」です。
しかし、会社の場合はそこに社員や取引先など「人」がかかわってきます。つまり、「傘はモノですが、会社は法人ですから半分人間のような存在」であることを忘れてはならないのです。
法人は実質的に社員という人間の集合体ですから、法人にも人権のようなものがあると考えるとわかりやすいと思います。
つまり、法人にも基本的人権のようなものがあって、所有者はそれを尊重しなければならない。だから、その法人を構成する社員を守る労働法のような法律が存在する。
さて、そうなりますと難しいのはオーナー社長の立ち位置です。2つのタイプに分かれます。法人の人権を尊重するタイプと無視するタイプです。
前者のタイプは大丈夫です。彼らは賢いので人間は完璧でない事をよく知っていて、法人の(正確には法人を構成する社員の)意見も聞き、良いアイデアは採用する。法人を別人格として認識してるからこそ出来るのです。
一方の後者は実にやっかいです。法人と自分を同一視している。本当は別人格なのに、自分の意志は法人の意志と定義しています。
そのため、法人を構成する社員から見ると、社長の行動は自分勝手にしか見えない。ただ、それは当然の帰結なのです。自分と法人を同一人物だと思い込んでいるわけですから。
自分が良いと思うことは法人も良いと思うことであり、従って、下々の社員たちも賛同するという考え方なのです。賛同しないのは社員たちが間違っていると言います。
会社は法人であり、それは独立したひとりの人間の如き存在であるという認識をもつ。このことが大切です。
そうなりますと、Aさんは誰のものか?という議論が無意味なのと同様、A社は誰のものか?という問いそのものが、あまり意味のないことのように思えてきます。