それは「我慢」か「辛抱」か

それは「我慢」か「辛抱」か

テレビのコマーシャルで有名になった「人間、辛抱だ!」というセリフをご存知でしょうか?そのセリフを言うお相撲さんの姿が、幼い頃の私の記憶にかすかに残っています。

詳しく調べてみたところ、それは、「土俵の鬼」と呼ばれた元横綱初代若乃花と元大関貴ノ花の兄弟が1970年代に共演したテレビCMとのことでした。

この「辛抱」という言葉には、目標に向かって頑張っているという響きがあります。辛いけれども、これを乗り越えたその先に喜びや幸せが待っているような感じです。

辛抱に似た言葉に「我慢」があります。こちらは我慢大会などと称して、真夏に厚着をして誰が一番長くコタツに入っていられるかを競うといった、どこか無意味でばかばかしいというニュアンスを感じます。

さて、私は苦境に立たされたとき、よく「これって、辛抱しているのかなぁ、それとも我慢しているのかなぁ」と自問自答していました。

そして、もし「辛抱だ」と思えれば諦めずに頑張りますし、「我慢だ」と思えばさっさと止めるように努めていました。何事も我慢しているとロクなことがありませんので。

この自問自答は、ほとんどの場合「辛抱」に落ち着きましたが、それでもまれに「これは、やっぱり我慢だ」との結論に至り、「止める」こともありました。

しかしながら、これまで「あれは、やっぱり我慢ではなく辛抱だった!止めなきゃよかった…」と思ったことは一度もありません。

やはり「我慢」と「辛抱」は違いますし、それは頭で考えて悩んで結論を出すというよりも、自分の心身が自然に反応し、半ば反射的に「我慢」か「辛抱」かの判定をして答えを返してくれたように思います。

友人や知人から「いまの会社を辞めたい」とか「情報開示すべきかどうか悩んでいる」といった相談を受けるときも「その状況をご自身は、我慢している状態だと思いますか?それとも辛抱していると思えますか?」と尋ねるようにしています。

一次スクリーニングをするためのモノ差しとして、この「辛抱 or我慢」は有効なツールだと思います。

ところで、コロナ禍の様々な行動自粛は「辛抱」か「我慢」か。

これは、目標の見えない「辛抱」と申しましょうか、「止める」ことができない「我慢」とでも申しましょうか。

人類がこれまで経験したことのないスケールでのパンデミックですから、なんとも致し方ありません。一日も早い収束を祈りつつ、今日も感染対策をしっかり頑張ります。