17歳のポケット(山田かまち 著)

17歳のポケット(山田かまち 著)

知人から紹介されて読んだ本です。息子さんの通う高校の図書便りで推薦されていたとのこと。

著者は若くして不慮の事故(17歳のときエレキギターの練習中に感電死)で亡くなり、その後に彼が遺した絵画や詩が見つかり出版されたものです。

詩や短い文章と絵から構成されたその本を読んだ知人曰く「文章が瑞々しく、若さって素晴らしい」と。

私の読後感も全く同感。きっと誰もが経験する青春時代の歓喜、夢、恋、挫折、葛藤、苦悩

それらが、瑞々しい言葉で詩や文章の中に込められている。どこか尾崎豊を彷彿とさせるものがあります。

そして、読み進むうちに「この感覚は自分も同じ年の頃に持っていたなぁ」と、まるで過去の自分と対話しているような気持になってゆきました。

そのとき私が思い至ったのは、「思春期の頃、私たちは、誰もが“詩人”だったのではないか?」ということ。

つまり、かまち少年が特別なのではなく、誰もが、瑞々しい言葉でそれぞれの想いを語っていたのではないかと。かまち少年のような言葉を、ノートの隅っこや教科書の余白書きつけていたに違いないと。

そして残念ながら誰もが、大人への階段を上るにつれて、世間に揉まれ、清濁併せのみ、やがて瑞々しい言葉を失ってしまう。

この本に書かれている詩や絵は、彼が17歳で夭逝したからこそ世の人の目に触れました。もし、彼が存命なら彼はこれらの作品を発表しないのでは。未熟な作品だ!ととっくに破棄していたかもしれません。

この本は私に「40年前の忘れ物」を思い出させてくれました。(集英社)