ロシアがウクライナに侵攻して1か月となる昨日、ゼレンスキー大統領の国会での演説をテレビで見ました。
戦火の真っ只中にあっても、このように自らの姿を見せ発信してゆく姿勢。モニターに大統領の姿が映し出された瞬間、私は大いに心を打たれました。
それから約12分間、平常心を保ちながら切々と語る姿にも感銘しました。ただし、通訳の日本語は残念ながら少しわかりにくかった。
先日行われた米国議会での演説もライブで見ましたが、あの時はウクライナ語→英語→日本語に訳されていたにもかかわらず、昨日のウクライナ語→日本語よりもスピーチの内容がスムーズに頭に入ってきました。
理由は単純なことです。通訳者が前者は日本人(日本語ネイティブ)、後者はそうではなかったから。つまり、私の耳に届いた日本語のレベルに差があったからです。
もちろん内容は十分伝わります。しかし、日本語のレベルが高いほうが、日本人の心のより深いところにまで届くことは間違いありません。
英語→日本語の通訳者は日本人がたくさんいますが、ウクライナ語→日本語の通訳者は殆どいないのかもしれませんね。
いずれにしても、言葉の壁というものはなかなか乗り越えるのが難しいと改めて感じざるを得ませんでした。
さて、私たちは大統領の演説にどう応えてゆけばよいのでしょうか。演説の中でも「日本のリーダーシップ」への期待が語られていました。
野党議員やジャーナリストから何を問われても、「関連各国と協調して、適時的確に対応してゆきます」という主体性ゼロの政府答弁。まずは「馬鹿の一つ覚え」からの脱却が必要です。