戦争と昭和

戦争と昭和

今日は「昭和の日」。昭和生まれの私にとってはいまだに「天皇誕生日」と言われたほうがピンとくる感じです。ちなみに、明治天皇の誕生日も「文化の日」として残っていますね。

ところで、「昭和」という言葉は今では「古い」とか「懐かしい」といった言葉の代名詞としても使われるようになりました。これはなかなか使い勝手の良い便利な用法です。

例えば、私たちの世代が会社で教えられた「商品よりも、まず自分という人間を売り込め」とか「足で稼ぐ」といった営業スタイルは、「古いですね」と言うよりも、「昭和ですね」と言うほうがしっくりきます。

カセットテープやレコードの話なども、「懐かしい」という表現がピッタリですが、「昭和ですねぇ」という言葉を思わず口にしてしまいます。

つまり、現在から2つ前の時代の年号に「古い」とか「懐かしい」という意味を載せている。ということは昭和→大正→明治ゆえ、私たちは当時、「明治」という言葉を同様に活用したでしょうか?しかし、そうした記憶は殆どありません。

これはきっと、あの戦争が大きな断絶を生んでいるからなのかもしれない。戦前と戦後は別世界でその間には越えられない深い溝があるような…。

逆に言えば、令和と昭和(正確には戦後の昭和)は意識として一続きに繋がっているのだと思います。文化も技術も情報も「箱根駅伝」で襷がつながるように。

戦後の昭和は明治から大正を経て襷を受け取るはずだったけれど繋がらず「繰上げスタート」になったような感じだったのかもしれません。

こんなふうに考えてしまうのも、やはり現在進行形のウクライナとロシアの戦争が頭から離れないからなのかと。物事は全て相対的、しかし戦争だけは絶対悪です。