季節の変わり目、待ちに待った春を感じる瞬間があります。温かい南風だったり、朝の日差しの強さだったり。
空がモヤがかっているのをみたり、洗濯物を取り込む時に(たぶん花粉がついているからだとおもいますが)埃っぽさを感じたり。
梅や桜の開花はもちろんですが、こうした日常生活の何気ないひとコマにも春の気配を感じることが増えました。
今週、桜を見に善福寺川緑地に出かけた時のこと(「桜も世代交代」参照)。途中、松渓橋付近にさしかかったあたりから、川のせせらぎが聞こえてきます。
これぞ「春の足音」。沿道に咲く満開の桜と相まって、景観に「花を」いや「音を」添えていました。水の流れる音というのはとても心地よいものです。
それにしても、善福寺川の水の音はあまり聞いた記憶がありません。自宅近くの川沿いをよく歩きますが、勾配が緩やかなため水はゆっくり静かに流れています。
一方、松渓橋から下流数十メーターくらいには(人工的に?)少し段差がついています。水はその長い3段の階段を流れ落ちるときに「せせらぎ」を生む。
この場所はこれまでも何度か通ったことがあり、川のせせらぎも聞いているはずなのに、それを意識したことはありませんでした。
しかし、今回はなぜか水の流れる音に気づき、春を感じた。これは、要するに少し寂しい話にも聞こえますが「歳を取った」ということなのかもしれませんね。
都会の小さな川のほとりで春の足音を聞いた翌日は再び真冬の寒さ。今度は春の「足踏みの音」が聞こえてきました。