五十にして川柳を詠む(10月)

五十にして川柳を詠む(10月)

先週の「五十にして川柳を詠む(9月)」に続き、今日は同年「10月」の作品を振り返ってみたいと思います。

新生活も半年が過ぎました。夏も終わって季節の変わり目、これまでの疲れが一気に噴出。このころは川柳で毎日のように弱音を吐いていました。

<朝晩の冷えが応える歳になり>、<何もかも歳のせいにし諦観す>、<朝寝せどとれぬ疲れが腹立たし>。

こうなりますと、<十か月駄作重ねど秀出ず>で悪循環に。あの頃はずいぶん疲れていたことを改めて思いださせる一句 <人は皆いずれ死ぬのになぜ生きる>。

電車の通勤風景も、よく心に留まっていました。<赤子泣き車内の空気張りつめる>、満員電車で赤ちゃんが大きな声で泣き出してしまった。

必死にあやすお母さんの姿に同情しつつも、身動きが取れない乗客は耳をつくような泣き声を黙って聞くよりほかありません。

<ラッシュ時は五感センサー全て閉じ>、耳だけではなく、目に飛び込む吊り広告や動画、乗り合わせた人々との接触、いろいろな臭いがごちゃまぜになった空気…。

それらを受け取る側の自分がセンサーの感度を十分に下げておかないと身体がもたない感じすらします。

そんなストレスの多い毎日ではありましたが、<腹八分守り切れるか食の秋>でありまして、食欲は旺盛。<澄み渡る朝の空気を深呼吸>と爽やかな朝を迎える日も。

一方で、職場の人の問題については相変わらず苦しい状況が続きました。<先鋒としんがり兼ねる人足らず>ということなのですが、そうかといって無能な者をいつまでも抱えておく余裕もありません。

<宿命かここでも我はリストラ屋>。人出不足に喘ぎつつも、人材の質の向上は担保しなければ。私は老骨に鞭打ち、心を鬼にして窮状に立ち向かっていました。