五十にして川柳を詠む(4月)

五十にして川柳を詠む(4月)

先週の「五十にして川柳を詠む(3月)」に続き、今日は同年「4月」の作品を振り返ってみたいと思います。

私は4月1日から新たな職場で働き始めました。福祉施設と調剤薬局の経営という、全く畑違いの世界に飛び込んだのです。

初日は<新天地ただいるだけで放電し>というありさま。<ゆっくりと歩んでみようしばらくは>と自分を慰めていました。

大企業から中小企業へ、グローバルビジネスからローカルビジネスへ、チームプレーから個人プレーへ<何もかもダウンサイズの新生活>がはじまりました。

スケールがダウンしただけではありません。仕事の進め方やしくみ、そこで働く人々のカラーなど全てがあまりにも違うことに日々戸惑っていました。

それこそ入社手続き一つとっても全く標準化されていない感じで心許ない限り。<保険証ようやく届き安堵する>。

尤も、そうした社内のしくみをこれから整えてゆくことも期待されての入社ではありましたが、2週間たった時点では<今はまだ我社ではないこの会社>と馴染めない状況でした。

それでも<会社かえ土日が少し長くなり>ということで、時間的な余裕は以前よりも出てきました。それに<職場変え月曜病もどこへやら>と、これまで毎週味わっていたあの辛さがずいぶん和らいだのは事実です。

ところで、本で見つけたのか新聞で読んだのか覚えていないのですが、私は4月の川柳を聞き連ねたページの欄外に次の言葉を書き留めています。

「明日がいかにならむは知らず今日の身の今日するわざにわがいのちあり」(歴史学者 津田左右吉)

何せまだはじまったばかり、先のことを考える前に、とにかく一日一日を積み重ねてゆくよりしかたありませんでした。辛抱の4月<地位捨てて次の飛躍に身をかがめ>。