社内公用語英語化の是非

社内公用語英語化の是非

かつて勤めていた会社で、海外駐在から本社に戻ったころ社内公用語の英語化が始まりました。まずは国際部門から、やがては本社の全部門に拡大するとのこと。

部門トップが外国人になったこともあって、さっそく部内会議での資料や発言の英語化が義務付けられました。

私はこの動きにずっと違和感を持ち続けました。日本で創業され「おもてなし」や「Made in Japan」をウリにしている会社です。それに国際部門とはいえ9割以上は日本人。

実際には「できるところからはじめましょう」ということで、会議のプレゼンや資料は人によって英語だったり日本語だったりという状況ではありましたけれど。

ある日の全体会議で人事担当役員が英語でプレゼンをしたことがありました。内容は人事改革について。

日本にオリジンを持つ会社が、しかも人事トピックスを、日本人の役員が英語を使って日本人の参加者に説明するという奇怪。

内田樹さんが対談集だったか、寄稿記事だったか(出典を書き留めるのを失念してしまったのですが)、次のようなことを発信されていました。

「英語公用語化」なんていっている人は「言語」のもつチカラを 相当甘く見ている。我々は「言語」をつかって事務的に伝達をしているだけではない。言語を使って発想し、思考し、言外の仄めかしやニュアンスといったものまでトータルで考えながらコミュニケーションをする。コミュニケーションの見た目の「効率」ばかりを追求していては、質の向上は無い、発想力や思考力の醸成も無い。

人事改革のプレゼンはせっかく中味が素晴らしいのに、残念ながら私も含めて聴衆の心には響かなかった。英語という言語の壁がそれを阻んだのだと思います。

グローバル化=英語化?おおいに疑問。グーグルの社内公用語は英語で当然。米国オリジンの会社ですから母国語が公用語というわけですからおおいに結構。

日本オリジンの会社は公用語を日本語にするべき。もちろんビジネスに英語は必須ですが、公用語にしてはいけないと思います。