はじめての徘徊 父の認知症はじまる 

はじめての徘徊 父の認知症はじまる 

近居する両親が共に認知症を発症して4年目になります。

これまで、私が最も恐れていたのは徘徊です。認知機能は衰えても、身体のほうは丈夫な母は特に心配でした。外に出かけて何度も警察のお世話になるのではないかと…。

逆に父は身体が弱く、背骨の圧迫骨折などもありましたので、徘徊よりも排泄ができなくなるとか、食事がとれなくなるといったことを心配していました。

ところが、これまで徘徊で警察や救急隊のお世話になったのは父が3回、母は皆無です。やはり「介護」は予測が難しく「場たり対応の連続にならざるを得ない」と、あらためて思います。

最初の「事件」は、父が1か月の入院をから無事退院して間もなく起きます。認知症なのか、年相応の記憶力低下なのか、まだ判別がつきにくい初期の頃です。

仕事中に携帯電話が鳴り、「〇〇警察派出所ですが…」父が交番に保護されているというのです。どうやら帰り道がわからなくなり、なんとか交番にたどり着いたものの、本人は住所も連絡先も覚えていない。

ただ、自分の名前と「〇〇病院に入院していた」ことは伝えることができたそうです。そこで交番からその病院に問い合わせていただき、入院履歴があることが判明。私の電話番号も記録されていたそうです。

私は、ご迷惑をお掛けして申し訳けないという気持ちとともに、父から手がかりを聞き出して必要な情報をつかむ警察の手腕と申しますか、手際よさと申しますか、そちらにも大いに感嘆した次第です。

交番に出向くと、父はニコニコと、何事もなかったようにパイプ椅子に背中をまるめて小さく座っていました。思えば、これが父の認知症の幕開けだったのです。

さっそく私は父と母のために「迷子札」を作りました。氏名と住所、連絡先、かかりつけ医の名前を書いた名刺大の紙をパウチに挟んで。結構きれいに出来上がりました。材料はすべて100円ショップで調達。

その後、父がこの札を持ち歩いていたのかどうかは定かではありませんが、2度目、3度目の徘徊事件においても、無事連絡がつき、事なきを得ました。周囲の皆さんのサポートにはただただ頭が下がります。

最後になりましたが、今日は父の誕生日です。