評価されようと思うなよ

評価されようと思うなよ

朝日新聞「折々のことば」で鷲田清一氏が花田(しゅん)(ちょう)のことばを紹介していました。

評価されようと思うなよ。人は自分の想像力の範囲内に収まるものしか評価しない。

花田春兆

俳人・作家・障害者研究家である花田が「付き人」をしていた若き日の文学研究者・荒井裕樹に、こう語りかけたそうです。

この言葉に私も大いに励まされました。新たなチャレンジをすべきか、してよいものか…逡巡する自分の背中を力強く押してくれます。

評価といえば、すぐに思い浮かぶのが人事考課。どこの会社でも人材を可能な限りフェア、かつ客観的に評価し、適材適所、離職防止、優秀な人材の獲得などに弛まぬ努力を続けています。

私がいた会社でも、人事評価制度は頻繁に変更されました。新しい知見やしくみが次々と取り入れられ、中間管理職の業務は増える一方。

あるとき上司が「制度をかえるのはいいけど、評価する上司がバカだったら何の意味もない」とぼやいていたことがあります。まったくその通りだと思いました。

部下の強みや弱み、パフォーマンスの良し悪しなど、人事評価というのは非常に難易度の高い仕事ですが、現実的には評価を担う上司の「想像力の範囲内」でしか見られない。

結局どんなに制度を磨き上げても、どんな上司の下で働くかによって全ては決まってしまうという何とも残念な現実が、大きな壁として立ちはだかっているのです。

そうであるならば、「評価されよう」などと思わず「人の想像力を超えてゆきなさい」という花田の言葉は、私たちに勇気と希望を与えてくれます。