今日の朝刊コラムで「旧若者」という面白い言葉に出会いました。文字通り「かつて若者だった人」という意味で、著者ご自身のことをユーモラスに表現しています。
ところで、「旧若者」であります私がまだ「若者」だったころ、世間は私たちの世代を何と呼んでいたかご存知でしょうか?同世代の方はもちろんご記憶のことでしょう―「新人類」
定義をあらためて確認してみます。
新人類(しんじんるい)とは、栗本慎一郎が作り出した造語で、1980年代に用いられた。1979年頃からテレビやラジオ、大衆週刊誌などのマスメディアでも広く使われ、当時の若者を「従来とは異なった感性や価値観、行動規範を持っている」と規定し、否定的にも肯定的にも(要するに、都合良く)扱った。また、現在では後節のようにマーケティング上の世代区分の名称としても使用されている。
出典:ウィキペディア
なるほど、当時の私たちは 人生の先輩方の目に 良くも悪くも奇異に映ったのでしょう。
「旧若者」も かつては「新人類」だったという事実に時の流れを感じます。どんなに新しいものでもやがては古くなるという理ですね。会社の新規事業も時を経ればやがて既存事業になる。
「新」といえば思い出すエピソードがあります。
かつての職場で社内広報誌がリニューアルされ、あらたな広報誌の名前が旧名に「新」を冠したもの、つまり「〇△□」(旧名)が「新〇△□」に変わったことがありました。
それから数年がたったある日、某部長と当時の社内広報誌担当者の間でこんな会話が交わされました。
「もう何年もたつのに、いつまでも“新”がついているのはおかしくないか?〇△□に戻すとか、新たな名前にするとかしないの?」
「いえいえ、この“新”には”いつまでも新しくありたい”という思いがこもっているんです」
「・・・」
「例えば新幹線には いつまでたっても“新”がついてますよね。それと同じです。いつの時代にも新しさが備わっている、そうありたい。だから、しばらくは外さないと思いますよ」
私はたまたまその場に居合わせたのですが、“広報誌愛”あふれる担当者の熱い語りがとても印象的でした。
いつまでも「新」というのは確かに素晴らしい。ただし、未熟という意味合いで使われる場合は別です。いつまでも「新」人でいたいとはふつう誰も思いません。
新人類の新にはどんな意味が込められていたのか。おそらくネガティブな意味合いが強かったに違いありません。それなら、さっさと外してリニューアルしてほしい。
と思いきや、時は流れて今はシンプルかつ そこに価値観が投影されないスタイルで呼ばれる。この恩恵にあやかり 「新人類」は僅か数十年の間に「ジェネレーションX」に進化を遂げていました。
「Y」や「Z」に比べると「X」は「未知なるもの」という印象をちょっぴり与えますが、新人類にくらべれば ずいぶんカッコよくなったと思います。