たそがれゆく硬貨たち

たそがれゆく硬貨たち

クレジットカードや電子決済などの普及で現金を使う機会がめっきり減りました。

神社のお賽銭までQRコードをスマホでよんでオシマイという方法も選べるとは驚きです。

五円玉1枚に「ご縁がありますように」と願いを込めてするお賽銭とはかなり趣が違いますね。

それでも、古い自動販売機だったり、現金以外で支払うと割高になる店だったり、あるいは、現金なら割引してくれる場合など 現金を使う場面も少なくありません。

スーパーなどの支払いで例えば1,002円だったとき、財布に一円玉が2枚あるとなぜか「ラッキー」と心でつぶやきます。

もし、ジャストの金額がなくても十円玉1枚あれば、千円札と十円玉を1枚ずつ出せば釣銭は8円⇒硬貨4枚ですむ。

でも小銭がなければ千円札2枚を出して釣銭は998円⇒硬貨14枚も戻ってくる。受け取る硬貨の枚数がずいぶん違ってきます。

支払い1,010円 

おつり8円  (=5x1 1x3⇒硬貨4枚)

支払い2,000円 

おつり998円(=500x1 100x4  50x1 10x4 5x1 1x3⇒硬貨14枚)

私もそうですが、多くの人が「財布に残る硬貨を出来るだけ少なくする」ことになぜか快感を覚える。

言ってみれば硬貨は「嫌われ者」というわけですが、一方でこうして硬貨に日々触れることで身に着く金銭感覚というのもあるはず。

しかし、質量のないデジタルマネーでは名実ともにお金の「重み」を感じにくい。それに、スーパーのレジで硬貨を減らそうとしなければ、暗算の機会も減って(少し大げさですが)脳の老化を早めるかもしれません。

それでもやっぱり電子決済は便利です。安全面でのメリットも大きいし、今のようなコロナ禍では感染防止にも一役買っているでしょう。

そんなわけで自分も電子決済はフル活用しています。そのため、最近ではたまに現金を使って受け取る釣銭硬貨が財布に滞留するようになりました。

その結果よく利用するようになったサービスが二つ。

一つは銀行の支店や郵便局に併設されているATMへの硬貨預入。小銭が財布に溜まったら立ち寄って預入しています。一円玉も入金できるので助かります。もう一つはPASMOの「10円単位チャージ」。駅で手軽にできるのが便利です。

子供の頃、道端に生えているカタバミ(ずっとクローバーだと思っていました)で十円玉をこすってピカピカにしたのを覚えています。「シュウ酸」という成分が十円玉の表面についた錆を落としてくれるそうです。

「1円玉は重さ1g半径1㎝」ですから大きさや重さを比較するにもよく使われていました。モノの大きさがリアルにわかるように1円玉と並べて撮影されている写真を今もときどき見かけます。

縁起を担ぐ五円玉のみならず、硬貨は私たちの暮らしにすっかり溶け込んでいました。 便利さの代償とはいえ、触れる機会が減ってゆくのはちょっぴり寂しい気もします。