締切の大切さを学ぶ夏休み

締切の大切さを学ぶ夏休み

8月が終わります。今日が夏休みの最終日で、宿題に追われている子供たちも少なくないでしょう。

夏休みの宿題は「計画的にやる」「締め切り直前にいっきに仕上げる」など、ひとによって向き合い方はさまざま。私は昔から短期集中より長期分散が性に合っていましたので、夏休みの宿題も毎日少しずつ進めるスタイルでした。

もちろんスタイルに優劣はありません。自分にあったやり方で進めるのが一番です。但し、一つ大切なことがあります。それは(当たり前のことですが)締切を守るということです。

私はこれまで文化も習慣も異なる外国の人々と一緒に働いてきました。彼らの仕事のスタイルはお国柄と申しますか民族柄?ともうしますか、とにかく違う。

一概に「こうです」と申し上げることはできないのですが、例えば

ドイツなどゲルマン系の人と仕事をするときは、プロセスが見えるので安心でした。何事も計画的に進めますし、いまどこまで出来上がっているのかといった途中経過や今後の見通しも把握しやすい。

一方で、フランスやイタリアなどのラテン系の人と組むと、プロセスは全く見えませんでした。進捗状況も今後の見通しもよくわからない。

でも、締切直前になって、私の目には「混沌とした渦」にしか見えなかったところから、忽然と「成果物」が姿をあらわす。

いったいどんなやり方をしているのか、細かいことはさっぱりわからないのですが、なぜか締切には見事に合わせてくる。

気の小さい私は、このラテン系スタイルに最後まで慣れ親しむことができませんでした。日本人の感覚としては相当の忍耐力や鈍感力が求められるように思います。

さて、いずれのスタイルにせよ肝心なことは、繰り返しになりますが締切を認識し守ることです。締切がなければゲルマン系ならそもそも計画が立てられないですし、ラテン系ならいつまでも渦のままで何も出現しません。

ちなみに、締切は英語でdeadline(デッドライン)と言います。dead(死)+line(線)です。

語源を調べたところ、アメリカの南北戦争時代に捕虜収容所に引かれていた線のことで、越えると逃亡とみなされ射殺されたそうです。

計画的なスタイルを好んだ私ですが、夏休みの自由研究や読書感想文には毎年てこずり、先延ばしにしていました。それでも最後は締切という強烈な圧力に屈し、なんとかギリギリのところで体裁を整えていました。

今にして思えば、「夏休みの宿題」は社会生活を営むうえでとても重要な「締切」という概念の大切さを体で覚えるためのトレーニングだったのかもしれません。