父の旅立ち(1)

父の旅立ち(1)

ちょうど1週間前1月9日の夜、父は静かに旅立ちました。

父の再入院」で書きました通り昨年末に気胸になるも、救急搬送された時は随分元気でこちらが拍子抜けしたくらい。まさか、他界するとは想像もしていませんでした。

コロナ禍で面会禁止。病院からは特に連絡はなく年末年始は無事過ぎました。事態が急変したのは1月4日です。スーパーで買い物をしていたところ病院から電話が。容体がかなり悪化し、いつ何が起きてもおかしくないとのこと。

妻は仕事で連絡がつかず、娘を連れて病院へ。幸い私の妹にも連絡がつき3人で訪問したのですが、面会は2名までとのこと。

そこで、会う機会のなかった妹と娘がベッド脇まで進み、私は病室に入らず、廊下から様子をみさせてもらいました。酸素マスクをつけた父が少し苦しそうにしています。

それから、別室にて医師や看護師から状況の説明。昨日まで経過は良好だったが、誤嚥性肺炎をおこし、肺に加えて心臓や腎臓の機能もかなり落ちているとのこと。

翌日、今度は妻と共に再び面会。この日はやや持ち直したようで、会話も交わすことができました。父は宇宙船に乗った夢を見たと楽しそうに話してくれました。

8日に面会したときは随分回復し、モニターに表示されている血圧や脈なども通常値に戻っていました。これでもう大丈夫、あとは肺の機能が回復するのを待つばかり。私も峠は越えたものとすっかり安心しきっていました。

ところが9日の夜8時過ぎ、病院からすぐに来てくださいとの電話が入りました。血中酸素濃度が落ちて、呼びかけても反応しないと。

急いで駆けつけましたところ、ベッド脇に二人の医師と看護師が立っていました。モニターに波形はなく「0」という緑色に光る数字だけが目に飛び込んできました。<父の旅立ち(2)につづく