私の祖母も認知症だったそうです。むかし母から聞いた話では、母の兄弟が交替で自宅に引き取り世話をしていたとのこと。
幼い私の記憶にも、部屋で静かに座っているおばあちゃんの姿がかすかに刻まれています。外は雨で、妹と私の3人でお手玉か、あやとりか、はっきり覚えていないのですが何かをして遊んでいる場面。
もう一つは、阿佐ヶ谷の病院に入院中の祖母を見舞ったときのこと。ちょうど昼食の時間で、そこに出されていた卵焼きを私がもらって食べたシーン。
幼い私は「あの卵焼きをボクが食べたから、おばあちゃんは天国へ行ってしまった」と少しだけ責任を感じていたようです。
ところで、あの頃は「認知症」という言葉がまだありませんでした。代わりに「痴呆」という言葉が使われ、祖母のような人は「痴呆老人」と呼ばれていました。
その後「恍惚の人」という有吉佐和子の小説が出版されてからは、そのように表現することもありましたが、やはり「痴呆」とか「呆け」が主流でした。
いまから見れば、これはイメージが悪いどころの騒ぎではありません。差別と偏見に満ちたひどい言葉です。
先月お亡くなりになった認知症医療の第一人者で医師の長谷川和夫さんが、この「痴呆」を「認知症」に用語変更することにもご尽力されたことを知りました。
先生のお名前は「長谷川式簡易知能評価スケール」と呼ばれる今でも認知症診断に使われている検査の発案者として有名ですが、それだけではなかったのですね。
晩年にはご自身も認知症を患い、その姿を公表されておりNHKの特集番組で私も拝見しました。
私の両親は、祖母の時代であれば「痴呆老人」とか「恍惚の人」などと呼ばれ、私もきっと肩身の狭い暗澹たる気持ちでいたことでしょう。
しかし、長谷川先生をはじめ、多くの諸先輩方の並々ならぬご努力で、認知症に対する社会の理解や受容度は格段に向上したのだと改めて思います。
そのことに敬意を表するとともに、私は認知症と関わる一人の人間として、認知症の人々との共生がよりよい方向に進むよう、少しでも貢献できればと考えています。