生物はなぜ死ぬのか(小林武彦 著)

生物はなぜ死ぬのか(小林武彦 著)

学生時代、私は生物が苦手でした。物理や化学は論理的で頭の中も整理しやすい。一方で、生物は仮に1つの法則が成り立っても、同時にいくつもの例外が立ち上がるようなイメージで、どこかつかみどころがありません。

それでも歳を重ねるにしたがって、生物というか「生きる」ということ、つまり生命というものに関心が向き始めました。

日々の社会生活でストレスを感じたり、生きがいについて思い悩んだり、身近な人の生や死の現場に立ち会ったり。加えて、老いや病が自らを容赦なく襲いますので、いやがおうでも「いのち」について考えるようになります。

生き物の不思議は枚挙にいとまがありません。私にとって「生物はなぜ死ぬのか」も、まさしく数ある謎のひとつであり、この本のタイトルを見て思わず手に取りました。

著者は「死ぬ」ことで生物は誕生し、進化し、生き残ってきたと説きます。死は生命の連続性を支える原動力であると。

なるほど、生き物は次世代のために死んでゆく。それは必然であり、そのことで進化を遂げることができる。

私なりにもう少しかみ砕いてみます。

たとえば、いまの自分の身体がレゴでできているとしましょう。もし、このレゴが接着剤で固められて分解できない(=死なない)ならば、あとは変化せず風化を待つばかりです。

でも、ばらばらにする(=死ぬ)ことができれば、それらのパーツを使って再び違う身体がつくれます。その際に改良を加えることもできるので、より環境に適したものになる。

なるほど、生きとし生けるもの全体をひとつの生命体と考えたならば、自分の死はやがて自然界の中で何らかの形で再利用され、より進化した生命体をもたらすということになる。

食物連鎖で天敵に食べられて死ぬという現象はまさにその具体ですね。なるほど。

ところで、興味深いデータが紹介されていました。1947・1955・1975・2005・2019各年の生存曲線(人口10万人あたりの生存数を年齢別にグラフ化)です。

この曲線は、戦後の医療や公衆衛生の進歩、食料や栄養事情の改善などに伴って、高年齢層の生存数が高まっていることを物語っています。

面白いのは、1947年の曲線も2019年の曲線も「着地点」、つまり生存数がゼロになる年齢は105歳付近を指していること。1955年も1975年も2005年も。

要するに5本の曲線がすべて105歳付近をめがけて着地しているのです。「これは、最長の寿命はあまり変化していないことを意味します」と著者。

歳をとっても元気な人が増えたけど、生物的には寿命が延びたわけではなく、ピンピンしていた人がコロッと逝くようになったということだったのですね。

このグラフを見ていると「自然の摂理」といった抗いがたいものを感じ、なぜかスッキリした気分になりました。自分の存在のあまりの「小ささ」に思わず苦笑いです。(講談社現代新書)