うがった見方をする

うがった見方をする

文化庁が先日発表した「国語に関する世論調査」を見た。毎年この調査結果が発表されるたびに「自分が間違って覚えていた日本語」を知る。今回は「うがった見方をする」。

「A部長の発言はたしかに正論ですよ。でも、うがった見方をすれば、あれは点数稼ぎのパフォーマンスじゃないんですか…」などと職場の愚痴をよくもらしていたものだ。

正しくは「物事の本質を捉えた見方をする」という意味だとは誰も思っていない。「疑ってかかるような見方をする」という間違った意味として、話者も聞き手も了解していた。

でも、今この文章を書いていて気づいた。上述の「A部長の…」は、正しい意味(=本質を捉えた見方をする)でも、間違った意味(=疑ってかかるような見方をする)でも、「所詮はパフォーマンスにすぎない」という話者の真意はしっかり伝わる。