小学生の頃、私は本があまり好きではありませんでした。漫画に夢中の友達がたくさんいたのですが、漫画を読むのさえも面倒くさいと思うほど。
本好きの母は、手を変え品を変え私に本を読ませようと頑張っていました。しかし、当時の自分にとっては、近所の原っぱで集まって草野球をしたり、缶蹴りをしたりすることに勝る楽しみはなかったのです。
狭い自宅の片隅に積まれた文庫本や母が買い揃えた分厚い全集が、いつもなんとなく気にはなっていましたが、「読書=大人の世界」と、少し近寄り難くも感じていたと思います。
それでも、中学生になって少し成長したのでしょう。本を読むということが、スマートでカッコいいことのように思えてきました。例の文庫本を何冊か手に取って、パラパラとめくってみたのもあの頃です。
あれは2年生のときです。たまたま私の前に座ることになった、出席番号がひとつ前の級友から「次郎物語(下村湖人)」が面白いから読んでみろと勧められました。
親の言うことは素直にきかないくせに、友達のアドバイスというのは不思議とすんなり受け入れるもので、早速近所の書店で購入し、あっという間に読破。
加えて、友達と作品について語り合うのが、缶蹴りや草野球に匹敵する面白さであると知りました。それは、作品そのものから得る楽しみ以上のものを与えてくれたのです。
母は、ようやく息子が本に興味を持ち始めたことを随分と喜んでいました。その後は、歳月の流れと共に、さまざまな本と出会い、いまでも次々と新しい世界が自分の前に広がり続けています。
特に海外で暮らしていた12年半の間は、たくさんの本をよみました。外国語に囲まれて暮らしていますと日本語に飢えるのです。洋食が続くと和食が無性に食べたくなるように、外国語に囲まれていると日本語の書物が無性に読みたくなります。
現地では日本価格の3倍くらいの値段で売っているのですけれど、「3回読めば元が取れる」と自分を納得させて、財布のひもを緩めていたものです。
おかげさまで、1冊の本に人生の窮地から救われたり、感動をもらったり、悩む自分の背中を押してくれたり。子供に読み聞かせた絵本から学んだこともたくさんあります。
これから「私の本棚」と題して、これまで自分が出会ってきた本を少しずつ紹介してゆきたいと思います。それにしても、なぜ友人は「次郎物語」を私に勧めてくれたのか?
彼はきっと何かを熱く語ってくれたと思いますが、今となっては全く思い出せません。ただ、詳細はともかく、たまたま彼と同じクラスになり、座席が近かったことが、私の読書人生を拓いてくれました。人生における「蓋然性の妙」を感じます。