コロナ禍でテレワークが急速に広がりました。おかげで、満員電車による通勤から解放された人も多いことと思います。出社を続けている人にとっても、電車やバスの混雑緩和は助かります。
一方で、そのぶん自宅での滞在時間が増えたことによる様々な弊害も顕在化してきました。
さて、今回は、そうした社会的な問題はいったん措き、テレワークにおける「仕事」そのものについて考えてみたいと思います。
テレワークの推進で無駄が減った、生産性が上がった、といった声を耳にします。わざわざ出社しなくても、対面でなくても、オンラインで十分対応できた!といった「喜びの声」です。
しかし、それは多分「仕事」ができたのではなくて、「作業」ができたということではないでしょうか。
私たちはオフィスに出勤して、厳密にいえば「仕事」と「作業」をしており、普段はそれらをひとまとめにして「シゴト」と呼んでいるわけです。
「仕事」は他者とふれあい、議論し、相談し、判断し、決断し、案を出し…頭はフル回転。タテヨコの人間関係に放り込まれ、時に苦しみ、時に喜び、支えられ、学び、学ばれ、育て、育てられ。五感をフル稼働させて、日々他者と相互に影響し合う。
「作業」はもっとシンプルです。手順が決まっていてマニュアルがある場合も多いでしょう。「今日は200人分のデータ入力を完了させる」といった目標を立て、粛々とこなせばよく、成果も測定しやすい。
それに「仕事」はいつも中長期視点です。すぐに結果がでないことが多い。たったいま得られた成果は、随分前から手掛けたものだったりするわけです。
では、テレワークで果たしてこうした「仕事」ができるのでしょうか?もしかしたら、工夫をこらせばある程度は出来るのかもしれません。でも、テレワークでは五感のうち視覚と聴覚の「二」感しか使えない。
いってみれば「二」次元の限界という高い壁がありますので、「五」次元との差が埋まるまでには、まだ、相当の時間がかかるのではないでしょうか。