説明は例えである

説明は例えである

先日たまたま訓練校の教室で誰かが「説明は結局例えでしかあり得ないのよ…」と言うのが聞こえた。そこでふと考えた。

外国人に日本の「お好み焼き」を説明するとき「日本のピザ」という言い方をする。アボカドを説明するために「森のバター」という別名がある。姫路城を白鷺城とよんで、つまり白鷺に例えて、その姿を説明する。

たしかに、未知のものを既知のものになぞらえることで、聞き手の想像力が起動し、なんとなくわかった気になる。

でも、『世界は分けても分からない(福岡伸一)』ように、「世界は例えてもわからない」のもまた「真なり」だろう。