五十にして川柳を詠む(6月)

五十にして川柳を詠む(6月)

先週の「五十にして川柳を詠む(5月)」に続き、今日は同年「6月」の作品を振り返ってみたいと思います。

6月ということで新しい生活も「3か月目」に入りました。人生の節目 「3」のサイクルでも書きました通り、「大きな山」がくるタイミング。

仕事のペースもつかみ慣れ親しむ一方、前職での地位、収入、評判、実績など、転職で失ったものの大きさが前景化し、これで本当によかったのか?という思いが…。

6月1日には<三月(みつき)めが一つの節目腹くくる>と覚悟を新たにしました。この山を乗り越えれば、次は3年後まで来ないのだと。

業務にも深く関われるようになり、<気がつけばもう木曜日陽が暮れる>といった具合で一心不乱に仕事に向き合っていました。

<認知症後見人も認知症>という厳しい現実を目の当たりにしたり、<また辞表投げつけ辞める新入者>という状況に対処すべく人材確保に東奔西走したり。

それでも、先ほど述べましたが転職で「失ったもの」にどうしても意識がいってしまいます。

<グローバルかつて日常いまシュール> 国際事業に携わっていた身とすれば、仕事の領域はずいぶん狭くなり、収入もかなり減りました<給料日ちいさな数に目も慣れて>。

前職で自分はいかに恵まれた環境にいたのか思い知らされました。なかでもキツかったのは共に働く仕事仲間と自分との相性や価値観のズレ。単に業界が違うというだけの理由でもなさそうです。

同じ日本人なのに、これまで対話してきた外国人よりも話が通じなかった。<勝てません思考回路の違う人>で、何も前に進みません。

当然ぶつかることも多くなり、ちょっとした喧嘩にでもなると<雨降って地は固まらず辞意固め>でさっさと会社を辞めてしまう始末。

最後は<老骨に鞭打ちつくるカラ元気> とにかく自分を鼓舞して6月を乗り切りました。