五十にして川柳を詠む(5月)

五十にして川柳を詠む(5月)

先週の「五十にして川柳を詠む(4月)」に続き、今日は同年「5月」の作品を振り返ってみたいと思います。

5月といえばまずはゴールデンウィーク。遊びに出かけたのはいいのですが<ブランコに走る娘に追いつけず>。五十の大台に乗った身には、体力の衰えを思い知らされることばかりです。

挙句の果てには<連休で三日遅れの筋肉痛>を堪えつつも、<休み明け心身ともに空回り>というありさま。

仕事のほうも悪戦苦闘がつづきました。<カネよりも人が回らぬ介護ビズ>という福祉事業の労苦を目の当たりに。世間で騒がれている通りなんだなぁと。

慢性的な人出不足の現場を前に、初心者マークの私はただ立ち尽くすことしかできません。<今はまだ頼りにされど頼りなし>です。

それでも「現場」はいつも管理サイドに立つ人間に勇気や希望を与えてくれます。このことは業界を問わない。

前職でも現場、つまり売場に出向いて店頭で頑張るスタッフと対話することで何度も救われました。<凹むたび現場が元気僕にくれ>、介護の現場も全く同じでした。

それでもやはり心身ともに相当しんどかったのは事実です。<つり革にからだぶら下げ頭たれ>帰りの電車ではいつもぐったり。

いわゆる大企業のサラリーマンが、中小企業の、しかも全く畑違いの福祉事業をマネジメントできるのか?私は川柳ノートの余白に次の文を書きつけていました。

「すべてのインテリは東芝扇風機のプロペラのようだ。まわっているけど前進しない」(寺山修司『あゝ荒野』)

自分も扇風機のプロペラなのかもしれません。それでも<窮地にも追い風の吹く時があり>、たとえ半歩でも前進して寺山氏の説を覆したいと気持ちを新たにしていました。