ソーシャルディスタンス

ソーシャルディスタンス

コロナウイルスの感染収束と共に、ソーシャルディスタンスという言葉も影を潜め、「ディスタンス」に対する考え方も「人それぞれ」になってきたと思う。

「ディスタンス」は2mで変わりない、と言われればその通りだが、厄介なのは2mの確保がどの程度必要かという考え方が人によって違ってきていること。

先日、スーパーのレジに並んでいたところ、私のすぐ後ろに並ぶ人の買い物カゴが肘に触れた。それほど混雑していないのに、ここまで近づかなくても…。一瞬イラッと。

感染が怖くて神経質になっているわけではないのに、なぜイラッとしたのか?少し冷静になって考えてみて、これこそ「手段と目的の取り違え」だと気づいた。

ソーシャルディスタンスの「確保」は感染防止の「手段」だったはず。それが、いつの間にか私の中で「目的化していた」というのが自己診断の結果だ。

つまり、感染リスクがないのだから「確保」は不要のはずなのに…。反省。

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かくと

かくと

「荻窪ラジオ」の神木各人(かみき かくと)です。私は国内外で33年間のビジネスマンライフを終え、今は荻窪を拠点にフリーランスとして活動中です。「荻窪ラジオ」では、私のこれまでの経験や、日々の暮らしで考えたことなどを「オンエア」。「読む」ラジオとしてお付き合いいただければ幸いです。

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