過去を侮ることなかれ             

過去を侮ることなかれ             

和歌に「本歌取り」という技法があります。「有名な古歌(本歌)の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法。 主に本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いた。(出典:ウィキペディア)

毎朝、新聞のコラムを読んでいて気付くのは、冒頭の一節に「引用」が多いことです。これも本歌取と似ています。

あるいは、自分が人前で簡単なスピーチをするとき、いわゆる「つかみ」の部分でことわざや名言などを持ってくることがよくありますが、これも同じことですね。

この事は、我々に「自分たちは先人の築いた礎の上に立っているのだ」ということを思い知らせてくれます。

それに、「過去」に思いを馳せると、心が落ち着くような気がします。例えば、モダンな部屋に使い込まれた木製家具がそっと置いてあるのを見た時の感覚です。

会社の経営にもあてはまりそうです。例えば、年齢構成。社員が若者ばかりでは「活気」があっても「落ち着き」は望めないです。

「改革」という名のもとに、これまでの流れを まるで 高速道路の開通式ではありませんが、テープカットをするようにチョキンと切断し、自らの「英断」を自画自賛する経営者がいます。

しかし、これは果たして上手く行くのでしょうか。表面的には流れを断っても、これまでに築かれた流れが単に地下水系に身を隠すだけかもしれません。

何らかの決断をする場合はどうでしょう。やはり、「過去」を踏まえて物事をより多角的に捉え、判断するほうがよさそうです。

過去のしがらみにとらわれていては何もできないのは確かです。でも、過去は「しぶとい」のです。そして「しぶとい」のには理由があります。

それは、きっと「簡単に断ってはいけない」ことの証なのです。これがまさに「保守」の考え方ですね。先人たちが世代を越えて築いてきた、そして今も生き残っているものを軽く扱ってはいけないと。

どんなに科学や技術が進歩しても、人智や経験の結集である「過去の遺物」は慎重に扱わなければ、自らの足元を揺るがせることにもなりかねません。

今ここに書いている文章も、冒頭は「引用」であり、中ほどで主張していることは私が初めてそのことを発見し述べていることでも何でもなく、既に先人の知恵を復唱しているに過ぎません。

私たちはご先祖様という途方もない巨人の肩の上に載っている小人みたいなものです。