東京五輪閉幕 次世代にみる希望の光

東京五輪閉幕 次世代にみる希望の光

異例ずくめのオリンピックが閉幕しました。コロナ禍、無観客…一方で、日本は史上最多のメダル58個という快挙。何はともあれ、まずは選手や大会関係者の皆さまに「本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。」と申し上げたく思います。

私もテレビを通じて声援を送り、メダルラッシュに興奮していたのですが、それでも、どこか夢中になれない、没頭できない、複雑な気持ちでした。こうした戸惑いは、選手のインタビューや、それを伝えるマスコミの報道姿勢にも滲み出ていたように思います。

子供の頃、私は「オリンピックは参加することに意義がある」と大人たちから聞かされていましたので、それを何の疑いもなく信じていました。オリンピックとはアマチュアスポーツの祭典であり、崇高な理念のもとに開催される夢の舞台なのだと。

ところが、成人式を迎えた1984年、商業五輪といわれる「ロス五輪」が開催されて以来「オリンピックは開催することに意義がある」に変わっていったように思います。

ロス五輪では、テレビ放映料やスポンサーの協賛金などで経費が賄われ、税金は使わず、コマーシャリズムが前面に打ち出されました。その後も、プロ選手の参加も増え続けるなど、「商業主義」がより前景化し、平和の祭典といった理念は後退しました。

思えば、これは企業の「在りよう」そのものですね。いくら、社会貢献だの人を幸せにするなどと立派な経営理念をかかげても、やはり企業の目的は利潤の追求であります。善いか悪いかの問題ではありません。

しかも、この東京大会では、知りたくなかった様々な裏事情までむき出しになりましたので、ますます「オリンピックとは、もはや夢の祭典ではなくビジネスなのだ」と思い知らされました。

それでも、アスリートたちの躍動が紡ぎだす数々の物語には、たくさんの勇気と感動をもらいました。特に、選手同士が勝ち負けを越えて健闘を讃ええあう場面は、「参加することに意義がある」という理念を私に思い出させてくれます。

気のせいかもしれませんが、若い世代が活躍した新しい種目において、そうした場面が多かったように思います。スケートボードで大技に失敗した日本の選手を、海外の選手たちが抱き上げてくれたシーンは象徴的でした。

こうした次世代を担う若者たちが、商業主義の対極にある真のスポーツマンシップを体現してくれているように思えます。「本当にたいせつなこと」は、心配せずともしっかり受け継がれてゆくのですね。ARIGATO!