名前をつけるということ

名前をつけるということ

ちょうど一か月ほど前、人の名前に関していわゆる「キラキラネーム」が容認される見通しというニュースがありました。

これは戸籍の氏名に読み仮名を付けるための戸籍法改正に向け、法制審議会の部会がまとめた中間試案を踏まえたもの。例えば「光宙」と書いて「ピカチュウ」と読ませてもOKに。

名前は重要です。親の身勝手な思い込みで奇妙な名前をつけられた子供は迷惑千万。果たして「ピカチュウ」を認めてしまってよいものか…。

2019年に「王子様」と名付けられた、高校生が家庭裁判所に改名を申し立て変更が認められ、名前が変わったと話題になりました。

名前は、思いもよらぬかたちでその人の人生を狂わすことがあります。

田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕された1976年。それまでは、小学校卒で政界のトップに上り詰めた実力者の名にあやかろうと、子供に角栄と名付けた親が少なからずいました。

ところが、その角栄が犯罪者になってしまった。すると、全国にいる「角栄くん」へのいじめが始まり、大人の「角栄さん」はイメージダウン、肩身の狭い思いを余儀なくされました。

コロナ禍では暖房機器大手のコロナなど、全国にある“コロナ”という名を持つ会社がダメ―ジを受けました。

そしてウクライナ危機。今度はロシア軍の「Z」マークです。社名ロゴに「Z」を用いているスイスの保険会社や、通信教育のZ会などにとってはとんだ災難でしょう。

もちろん、悪い事ばかりではありません。たまたま名前が同じだというだけで思わぬご利益があるということも。

いずれにせよ、「名前」はいつどこでどんな運命を引き寄せるかわからない。ですから、名前をつけるということを軽く見てはいけないと思います。