私は幼い頃、西武新宿線の上井草駅近くに住んでいました。荻窪駅までは自転車で20分くらいでしょうか。たまに家族で買い物に来ることがありました。
駅の近くに生鮮食料品を扱う大きなマーケットがあって、魚屋の店員さんたちが威勢のよい掛け声をかけていたのをよく覚えています。
魚を買うと新聞紙に包んでくれました。釣銭用の硬貨が入ったザルが、天井からゴム紐でぶら下がっています。今はなき「500円札」を出すと、店員さんがそのザルを引き寄せて、お釣りの硬貨を手に掴んで渡してくれます。
父の知人が商っている肉屋さんもあったそうですが、残念ながら自分の記憶には魚屋さんの風景だけが残っています。
地元の方はご存知のとおり、このマーケットはタウンセブンというショッピングセンターにかわりましたが、ビルの中には昔からあるお店が今も軒を連ねています。
駅前には「鳥もと」という焼き鳥屋さんがありました。ちょうど北口の階段を上がったすぐ脇のところ。いつもその周辺は煙がもくもく。赤い顔をした大人たちが楽しそうに大声で騒いでいました。
このお店は昭和27年創業とのこと。井伏鱒二もよく訪れていたそうです。
残念ながらと申し上げるべきか、平成21年にこの駅前店舗は閉店し、そこから30mくらい阿佐ヶ谷よりの線路沿いに移りました。店舗のあった場所は駅前広場の一部になっています。
焼き鳥屋さんの煙と、魚屋さんのイキのいい掛け声。場所や形は少しだけ変わりましたが、これらは今でも荻窪の町でしっかりと受け継がれています。
こうした「町の日常」のようなものが、荻窪では大切に守られているように感じます。
ここに住む人々が、その重要性を理解し、バトンを繋いでいるのだと思うのです。
そのことが、この町に「落ち着き」をもたらし、どこか心が休まる雰囲気を醸している。井伏鱒二に太宰治、与謝野鉄幹・晶子夫妻など作家や歌人が多く移り住んでいたことも、その背景にはあるのかもしれません。