子供には「こどもの日」、高齢者には「敬老の日」、そして現役世代には「勤労感謝の日」が祝日として制定されています。
「国民の祝日に関する法律」によれば「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という日になるわけですが、働いている人に「ありがとう」と言ったり、働くものとして「ありがとう」と言われたりした記憶はあまりありません。
「こどもの日」や「敬老の日」は過ごし方、あるいは祝い方が定番化しているのとは対照的です。こどもが小さいうちは「お父さん、いつもありがとう」などと言われていたのかもしれませんが…。
さて、若い頃は「勤労」と言えば「お金を稼ぐこと」と同義であるという意識が強かった私ですが、歳を重ねると共に、それは誤った認識であることを学んできました。
典型的な例は主婦(夫)の仕事です。見た目にはお金を生んでいませんが、お金を稼ぐ配偶者をサポートしているわけですから当然ながら給与の一部は妻(夫)の貢献分になります。
介護もそうです。もし、家族が無償で時間と労力を提供せず、全て公的扶助で賄うということになれば、その分の税金や社会保険料を負担しなければなりません。逆に言えば、その負担分を稼いでいるということになるわけです。
ボランティア活動もそうです。今回の東京五輪では、沢山の方々が無償で労働提供しています。こうした大イベントに限らず、公園の清掃や通学の子供たちを見守るといった多くのボランティアの方々が社会のさまざまな場面で「勤労」しています。
勤労、労働、仕事。いろいろな呼び方がありますが、それらは直接的に現金を生む生まないといったこととは関係なく、貴賤なく、すべて尊いもの。
人が生き生きと働いている時の表情というのは実に美しい。この美しい表情をたくさん目にするような素晴らしい世の中になることを祈りつつ、私も日々仕事に介護に家事に勤しんでまいります。