人間がいちばん怖い

人間がいちばん怖い

中学生の娘の勧めで「ハンナのかばん」(カレン・レビン著)という本を読みました。第二次世界大戦中、アウシュビッツのガス室で13年の生涯を終えたハンナ・ブレディーと、彼女が残した旅行カバンに出合った 日本でホロコースト教育に携わる石岡史子さんの物語です。

ホロコーストといえば「アンネの日記」は読みましたが、「ハンナのかばん」は聞いたことがありませんでしたので、「ぜひ読んでみたい」と娘に伝えたところ、さっそく学校の図書館で借りてきてくれたのです。

子供向けに書かれているので1時間ほどで読破。その後、私の頭の中に、ドイツで暮らしていたときに訪れた「ダッハウ強制収容所」の風景がよみがえってきました。

ミュンヘン近郊にあるダッハウという町にかつて存在したナチス・ドイツの強制収容所跡です。ここでは3万人の命が奪われたとのこと。

写真でしかみたことのなかった、独房やバラック、ガス室などを見るとことができましたが、とにかく背筋が寒くなると申しますか、凍りつくと申しましょうか…。

あの凄惨極まりない粛清が行われた場所と同じところに自分が立っていると思うと、深い悲しみとやるせなさに襲われ、全身の力が抜けてしまうような感覚に襲われました。

もう一つ、ホロコーストというよりヒトラーにまつわる場所として「ケールシュタインハウス」にも行ったことがあります。

これは「1939年にマルティン・ボルマンがヒトラーへの誕生日プレゼントとして海抜1881mのケールシュタインの山頂近くに建てさせたティーハウス」です。ヒトラーは高所恐怖症ということもあって、実際にはあまり利用されていなかったとのこと。

さて、「ハンナのかばん」や「アンネの日記」を読むと、そこにはナチス・ドイツの民族浄化に絡む恐ろしい話とともに、どこにでもあるふつうの女の子の日常も描かれています。

一方で、あの残虐行為の首謀者であるヒトラーは、高所恐怖症だったという。こうしてみると、ホロコーストの加害者も被害者も、ただの生身の人間にすぎないのだとつくづく思います。同じ人間同士の争いの結果なのだと。

時代や社会環境が違っていれば、ヒトラーだって高いところが苦手なただのオジサンで終わったかもしれない。そうすれば、ハンナやアンネはふつうの女の子として幸せな人生をおくることができたかもしれない。

人間はどうしてこうも残酷になれるのか。逆に、そういうリスクが人間にはあるのだということをホロコーストの歴史が人類に教えてくれたのだと言えるでしょう。

コロナ禍でも、ウイルスよりも人間のほうがよほど怖い、自粛警察まで出てくる…。

私たちは自分自身にそうした忌まわしきリスクが潜在することをあらためて思い出さなければならないと思います。