「人間らしさ」の構造 (渡部昇一 著)

「人間らしさ」の構造 (渡部昇一 著)

この本は私が大学1年生のとき、ある先輩に勧められて読みました。「俺が 頭の中にはあるけど もやもやっとしていて言葉にならなかったことを 完璧に表現してくれているんだよ!」ぜひ読んでみてくれと。

未完成な自分への不安と焦燥、これからの人生について思い悩む19歳の私に、この作品は見事にはまりました。あれから30年以上たったいまでも時々読み返すことがあります。

蛍光ペンで線が引いてある箇所がいくつかありまして、そこを拾い読みすると「19歳の自分」と対話している気分に。そういえば、こういうところに共感していたなぁと懐かしく思い出します。

出版されたのは昭和47年。さすがに時代背景が異なりますので、ジェンダーに関する部分などは いま読みますと違和感を覚えるものの、全体としては古さを全く感じさせません。

渡部さんは一貫して「外から与えられた価値基準にたよらず、自ら内なる“モノ差し”を持て」と説きます。性善説の立場で「自分の“心の声”にしっかり耳を傾け、それを信じて前に進みなさい」と。

たしかにその通りだと思います。「外なる価値基準」がいかに頼りにならないか。明治維新や大東亜戦争などを節目に、それこそ「白」が「黒」に一変してしまうという史実からもそのことは明らかです。

「将来どんな仕事をしている自分を心にえがくとぞくぞくするような戦慄が体を走り抜けるか、それをみいださなければならない」という文章に線が引いてあります。

そういえば、当時の私は将来への道標を求めて、懸命に想像力をはたらかせながら「戦慄が走り抜ける瞬間」を待っていました。

残念ながら「戦慄」とまではいきませんでしたが、それでも「ワクワクする瞬間」は何度か経験。そうした“小さな声”を頼りに今日まで人生を歩んできたように思います。

その後、渡部さんの作品は他にも読ませていただきましたが、まず驚くのは著作の多さです。ものすごい数です。加えて、もう一つ驚嘆するのは、ご自身が40歳前後の頃にこの本が書かれているということ。

同年代の頃の自分と比べたら…(そもそも比べてみること自体が失礼ですが)目も当てられません。未完成な自分は、まだまだ勉強が足りないとあらためて思いました。(講談社学術文庫)