今月6日の夜、私はいつものようにNHKニュースウオッチ9を見ていました。トップニュースは「東名あおり運転 懲役18年判決」。次はウクライナか北朝鮮かと思いきや…。
なんと「関東甲信地方の梅雨入り」のニュース。西日本・東海地方を飛び越えて先に梅雨入りするのは1964年以来のことだと伝えています。
但し、きょうの気象庁の発表は「梅雨入りしたとみられる」ということで、梅雨入りの確定判断は9月になされるとも。
それにしても、いくら「1964年以来」だからといって、「梅雨入りしたとみられる」が、ウクライナや北朝鮮を抑えてトップ2に伝えられるとは驚きです。
ところで、1964年といえば私の生まれた年。親が私の誕生日の夕刊(東京新聞)を大切に保管していまして、今はそれを私が引き継いでいるのですが、久しぶりに引っ張り出してみました。
天気予報の欄(写真)をみて下さい。なんとも微笑ましいばかりの“手作り感”ではありませんか。地図も天気図も予報の内容も、今と比べると桁違いに大雑把。
「降水確率」もない、「時間毎の予報」もない。「予想気温」すらありませんが、その日の正午の気温は載っているので、そこから各自で明日の気温を予想するのでしょうか。
今は気象予報士なる専門職がいて、微に入り細に入り解説をしてくれる。朝の天気予報に至っては、どんな服装をすればよいか、傘は持っていくべきかどうか、そんな事まで指示してくれる。
「カーディガンを羽織れ」とか「折りたたみ傘を持って行け」とか。私たちは、こうした情報の洪水に圧されて、自分の頭で考えなくなってしまう。
夕焼けがきれいだから明日もいい天気だとか、この雲の様子は夕立の前触れだとかいった、かつて私たちが持っていた「知恵」や「感覚」が、どんどん錆びついてしまうような気がして少し残念です。