終戦の日に考える

終戦の日に考える

戦後76年がたちました。あの戦争は私にとって未知の世界であり、その姿を知ることはできません。それでも、せめてその一端だけでも理解したいと、ずっと思ってきました。

子供の頃に母からよく、空襲警報がなって防空壕に避難したことや、疎開先でみじめな思いをしたこと、食料難で常に空腹だったことなどを聞かされたものです。

父からは、一家で故郷の福岡を離れて台湾に住んでいたと聞きました。近くの畑で遊んでいるとき、米軍機の機銃掃射に遭遇したことがあるそうで、その時の様子を聞いて驚いたことを覚えています。

叔父は学徒動員で特攻に送られたものの、戦争末期で、もはや乗る飛行機がなかったため、出撃をすることなく終戦を迎えたそうです。

そうした生の声に心を動かされたのか、ノンフィクション、フィクションを問わず、戦争を題材にした作品にも、多く接してきたように思います。戦争には私を強く引き付ける何かがあります。

小説で言えば、古いものでは「人間の條件(五味川純平)」から、新しいものでは「永遠の0 (百田尚樹)」まで。映画やドラマでは、4時間30分に及ぶドキュメンタリー映画「東京裁判」も見ましたし、NHKスペシャルのドラマ「東京裁判」も録画して3回視聴したほどです。

毎年この時期になると、政治家の靖国神社参拝をめぐって世間が騒がしくなりますが、その靖国神社に併設されている遊就館(戦没者の遺書や遺品の展示)にも何度か足を運びました。

また、昨年の夏には、長野県上田市にある「無言館」を訪れました。この美術館には、戦場に散った美術学生(戦没画学生)たちの遺した絵だけが静かに展示されています。

私は「戦争を知らない子供たち」であり、生まれてから今日まで、奇跡的に戦争を免れてきました。それでも、戦争は圧倒的な影響力をもって、私たちが生きる今の日本の社会を「規定」しているように感じます。だから、どうしても気になるのです。

あの戦争でいったい何があったのか。当時の人々はどう向き合い、何を感じ どう乗り越えてきたのか。そして、それらは後の社会にどんな影響を与えてきたのか。

私たちの世代はそれをどう理解し、受け止め どのように次世代へつないでゆくべきなのか。その答えを見つけるために、あの戦争への探求心をこれからも持ち続けたいと思います。