お彼岸も過ぎ、だいぶ秋らしくなってきました。さて、季節の変わり目は体調管理にも気を使いますが、いつも悩ましいのが服装です。
暑いのか、涼しいのか、どんな格好をしたらよいのか…。中途半端な感じで何を着たらよいか迷ってしまいます。
迷うほどたくさんの服を持っているのではなく、半袖では寒いかも?この上着を着るのはまだ早いかなぁ?といった類の話です。
先日も近くのスーパーに買い物に出たとき、半袖のまま飛び出したのですが、「もしかして、半袖では寒いかも?」と。
その瞬間、じつはもう一つ気になっていたことがあります。それは、「他の人も半袖を着ているかどうか」です。
まずいことに、すれ違う人は長袖ばかり。ようやく、前方に半袖姿の中年男性を見つけてひと安心。やっぱり日本人だなぁと苦笑いです。
自分は海外での生活を通じて「他人と比べる」ことのバカバカしさを悟っていたつもりでしたが、まだまだですね。
ドイツで暮らしている頃は、人々の「自己中心的」な服装にいつも驚かされていました。
春になると、夏を先取りして半袖短パンにサンダルで歩いている人もいれば、まだ首にマフラーを巻いている中年のご婦人もいる。
つまり、他人がどんな服装をしていようと全く意に介さないのです。自分が寒いと思えばマフラーを巻くし、暑いと思うなら半袖を着る。シンプルで合理的なのです。
感じ方は人それぞれなのだから、服装も人それぞれで何が悪いと言わんばかりに、さまざまな服装が町中を行き来します。
これは農耕民族である日本人と狩猟民族のドイツ人との違いなのかもしれません。私たち日本人は村八分を恐れ、同調圧力に屈しがちです。
それでも服装程度のことなら、他人の目を気にしようとしまいと、たいした話ではないでしょう。
でも、自分の生き方とか価値観といった、より本質的で重要なことについては、狩猟民族のスタンスを見習ったほうがよいと思います。同調圧力に屈しないことです。
サラリーマンの世界では60歳を定年に定め、その時点で生き方をチェンジするように強制されます。まるで学校制服の衣替えみたいに。
学生なら10月から冬服着用と決まっていれば、9月に寒いと感じても夏服で我慢しなければならなし、夏服は6月からなら、それまではどんなに暑くても冬服です。
でも、「人生の衣替え」では、60歳という年齢にとらわれる必要はありません。暑ければ夏服を、寒いなら冬服にチェンジすればよい。そのタイミングは一斉に60歳でなくてもよいでしょう。
現に私も会社人生の定年を少し前倒しさせていただきました。一足先に夏を先取りしていたドイツ人のように。
他の人と比べれば「違う」わけですが、私は比べること自体もやめることにしました。その結果、ずいぶん楽になりました。