五十にして川柳を詠む(11月)

五十にして川柳を詠む(11月)

先週の「五十にして川柳を詠む(10月)」に続き、今日は同年「11月」の作品を振り返ってみたいと思います。

この頃、職場では大きな決断が下されました。運営していた高齢者向けのデイサービスを休止することにしたのです。

このサービスはその地区でも屈指の規模で100名を超える利用者を抱えていました。しかしながら、採算を確保するのは極めて難しく、慢性的な人手不足にも悩まされ…。

利用者の皆様には本当に申し訳なかったのですが苦渋の決断。併設するグループホームに経営資源を集中して生き残りを図る戦略でした。

介護や福祉事業の場合、許認可事業ということもあって始めるのも大変ですが、休止するのはもっと大変です。と言うのも、利用者の次の行先を手配しなければならないからです。

近隣にある同様の施設に移籍していただいたり、これを機にサービスを受けるのを辞めていただいたり。とにかく、全利用者の休止後の身の振り方をきちんとお世話しなければならない。それが完了するまでは監督官庁から休止の許可が下りません。

区役所に呼び出されたり、都庁に出向いたり、利用者からのクレーム対応に追われたり。挙句の果てには、区議会議員まで出て来て「休止するとは何ごとだ!」と騒ぎ立てる始末。

<辞めたくて辞められなくて虚しくて>と疲弊しきっていた自分。<カラス鳴く電柱の脇我も泣く>という心境でした。

利用者の件が一段落すると次はスタッフです。<またひとつリストラに手を染める秋> 10名前後の解雇を余儀なくされました。

<つきまとう解雇の仕事天仰ぐ> なぜか人をクビにする仕事が自分にはついて回るのです。「こんな事になって、私たちはどうやって年を越せばいいんですか!」と迫る社員達。

<打算なくただ救いたく激励す>程度のことしか出来ません。<休み明け休んだ分を吸いとられ>、<あまかった畑違いの度が過ぎた>なんとも重苦しい日々が続きました。