銃弾に散った元首相

銃弾に散った元首相

令和4年7月8日午前11時半頃、奈良で選挙演説中の安倍元首相が、背後から近づいた男に銃撃され亡くなりました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

背筋が凍りつくような恐ろしいテロ。各党の党首らは「民主主義への卑劣な暴力は断じて許せない」と怒りをにじませ、市民は「まさか日本で…」と困惑。

警備体制は十分だったのか?現場で心臓マッサージをする対応は適切だったのか?といったマスコミが得意とする”魔女狩り”もはじまりました。

安倍さんを賛美する報道も目立ちます。首相在任時代はあれだけこき下ろされていた人でも、死ねば神。死屍に鞭打つことはしません。

しかし、安倍さんとて、首相として人々に恨まれてもしかたのない行動がなかったとは言えないでしょう。現に「森友・加計問題」では自ら命を断った官僚がいます。

首相が「権力」という「暴力」をふるい、その後の文書改ざん等に関する説明責任などは全く果たさないまま。これとて民主主義を冒涜する卑劣な暴力であります。

さて、今回のテロは、単純な言説やわかりやすい物語や解釈で問題を矮小化すべきではないと強く思います。

「犯人は民主主義の価値観を解せない頭のおかしな男」だったのだと、犯人に100%責任をおしつけてオシマイではいけない。

なぜなら、この事件の背後に、「政治の劣化によって病んだ社会」の片鱗を見るような気がするからです。

米国に盲従、新自由主義の強力な推進と社会の2極分化…。悲しいかな、安倍さんは、今回のテロを自らの手で呼び込んだようにも映ります。

今こそ私たちは「自分もこの社会の正式メンバーなのだ」とあらためて自覚すべきです。そして、自らの頭で考え、行動しなければなりません。

まずは10日の参院選投票率が若干でも上向いていたのは朗報でした。